Nationalism、足枷

非常に幸いに思うのだが、私の生い立ちゆえに私には愛国心的なものが無い。普通は生まれた国か、育った国か、両親の出身国を自分の国とするのだろうが、私には「自分の国」がないようだ。そして、そのように育ったことは「恵まれていた」と感じている。人生の大半を過ごした東京&日本は好きだが、別に愛してはいない。


というか、人間は愛せても国なんて愛せるかっ、と思う。(ちなみに宗教も苦手だ)
国なんてものを愛するぐらいなら青い惑星か銀河系を愛するさ。(ちなみに宇宙戦艦ヤマトは好きだ)


それゆえに、人々が愛国心に満ちた議論、論争をしていると、なんか私は引いてしまう。昔の私がもっと毒づいていた頃なら、
愛国心なんてものは、権力者が人々を領地に繋ぎ止めるために植え付けているんだよ」
と、言ってしまったかもしれないが、丸くなった最近はできるだけそういった場を避けるか、相手の発言全てを肯定するYESマンに徹する。


私から見ると、結局「**人」というのは、その人の「足枷」のように映る。
その見えない足枷は皆の足に付いていて、さらにその先には見えない鎖が付いていて、その鎖はそれぞれの国までずっと繋がっているようだ。そして、たまにそれぞれの鎖が絡まりあい、なかなか解けずに揉めるようだ。

だったら、そんな足枷は外せばいいのにと思うのだが、どんなに諭しても、本当に足枷に縛られている人ほど、決して自分が足枷に縛られている事には気が付かない。
だから、私はそんな無駄な努力はしない。