2年経って思うこと:モラル

早いもので上海生活も2年を過ぎました。そして、最近なんとなくブログで中国生活にて起きるネタをあまり書かないようにしてます。
べつにネタが減っているわけではなく、相変わらず日々ネタ満載の日々を送っているわけですが、なぜかというと、考えてみれば、自分は先進国で育ち、高等教育を受け、お金に困らない生活をして、海外に触れる機会が多いわけです。他方、中国で生活している多くの人々は、貧しい環境で育ち(昔、中国はみんなが貧しかった)、まともな教育を受けら得るのは一部で、外の世界に触れる機会もないわけです。

そりゃ、そこまで育ってきた環境が違う訳ですから、絶対的な格差があるのは当然で、それを中国の人に対して「あれもできない、これもできない」「こんなことも分からない」「こんなに非常識」と面白く書き立てることは、なんだか弱い者の揚げ足を取っているようで、ちょっと嫌な気がしたからです。

とか言いながら、日々の生活で僕が彼らに怒鳴り散らしてしまうのは、育った環境の差異ゆえではない、あまりのモラルの欠如、モラルの無さに憤りを感じてしまうからです。

かつて日本でモラルの無い若者代表のような自分が、今、ブログでモラルを語るのも変な話ですが、中国に来て本当にそれを意識させられました。
どんなに貧しくても、たとえ学校で学んだことが無くても、道徳、人間として何が良くて、何が悪いことなのかの判別はつくはずです。逆に大学でそんなことは教えてくれません。きっと、道徳なんてものはじいちゃん、ばあちゃんや両親、地元の人々、絵本、童話、云々、育っていく過程で自然と身についていくものなのでしょう。

なのに、なんで中国ではモラルの無い人がこんなに多いのか?
(注:比較論として多いだけで、決して、中国の人がみんなそうではないですよ!)

前にその疑問を素直に30歳後半の北京人の同僚に聞いたら、こういう回答でした。
「本来中国人の持っていた良いものは、全て文化大革命によって壊された」

なるほどと唸りました。僕も歴史で習った程度ですが、文化大革命ではそれまでの全てが否定されたと聞きます。
自分達の歴史を否定し、歴史的建築物もほとんどが壊されました。孔子で有名な儒教文化大革命では悪と見なされ、徹底的に否定されたようです。また、そういった文化大革命の方針に従わない者は投獄されたそうです。当然、多くの文化人が投獄されたでしょうが、聞いた話では、その当時は家族同士でも密告していたそうです。もちろん、自分を守るためにですが。
そうして、中国の良き歴史と心が破壊され、他人を信じられない社会が出来上がったのかもしれません。

もしそうなら、毛沢東の罪は計り知れないものでしょう。
だって、悠久の歴史をもつこれだけの大国を、今のようなどうしようもないウソだらけのコピー大国に堕としめたのですから。
だから、社会主義は恐ろしいなと思います。一人の人間が一国をダメにできるのですから。

今日はオチ無し。